おかげさまでさとうたくやは生誕30周年を迎えます

こんな時くらい、めいっぱい自分語りしても良いよね!

ということで、簡単に僕の人生を振り返ってみます。

1993年:東京のまんなかあたりで生まれる

生まれました。転生者でもなんでもないので記憶なんてないです。

~2000年:幼稚園とか

だいぶ記憶が無いです。ファービーとか居ましたね。
たまごっちは育てられた試しがなかったです。

2000年:小学校入学

なんかミレニアムでエレメンタルな感じです。

父親の影響もあって、車とかレースとかそういうのが好きでした。
母親の影響もあって、結構読書家でした。1~2年くらいから青い鳥文庫の簡単な本を読み始めていたと思います。
このころから漢字は読めるけど書けない子供でした。

2001年:サッカーを始める

ある意味一番の転機というか。
親に似ずそこそこやんちゃだったようで、割と体を動かすのが好きだった僕はサッカーを始めました。

サッカー選手になりたいみたいに思ったことは1度もないんですけどね。
おそらくこれは工藤新一の影響でしょう。

そんな心境でやっていたので、うまくなることもなく
ここから卒業まで5年サッカーを続けましたが、そこまでうまくならなかったと思います。

反復練習でどうにかうまくなれるリフティングだけは500回とかできるようになりました。

ハリーポッターと賢者の石が映画化されたのも2001年ですね。
頑張って分厚い原作(もちろん日本語版)を読んでいた読書家でした。

2002年:東京ミュウミュウのアニメ放送

僕の魔法少女モノの原体験ですね!

同時期のアニメでミルモでポン!は割と男女問わず人気で観てる人もおおい少女漫画作品な印象ですが
その直前時間に放送していたミュウミュウはなぜか見ている人が少ない……

最近にゅ~が出てきましたが、そちらはちょっと追い切れてませんが、
今でも大好きな作品の一つですね

2003年:鋼の錬金術師アニメ放送開始

テレビをつけたらアニメをやっていた、みたいなところから
CMでたまたま見つけたハガレンにたいして「これは見てみたい!」と自分から能動的に思った最初の作品なんじゃないかなと思います。

おそらくオタクの原体験の一つなんだと思います。

2005年:黒魔女さんが通る!が掲載

読書家で青い鳥文庫っ子だった僕は、青い鳥文庫のアンソロジー「おもしろい話が読みたい! 青龍編」を手にします。(もちろん、白虎編も)

そこで、黒魔女さんが通る!と出会います。

青い鳥文庫を読むような年齢じゃなくなったというのと、
だんだんとラノベにシフトしたので3巻くらいで読むのやめちゃいましたが、
サブキャラのアイディア公募に応募して名前が載っていたりと、印象深い作品だと思います。

2005年:PSP入手

2004年には発売していたんですが、
2005年のクリスマス商戦にPSPは「ギガパック」と称した、当時は大容量の1GBメモリースティックを同梱したバージョンを発売。

かねてより気になっていたPSPを、ギガパックで手に入れることとなりました。

当時最高峰の携帯マルチメディアデバイスですね。
僕のガジェット好きは当時から変わっていないようです。

2006年:中学入学・ラノベとの出会い

中学に上がる直前とか直後くらいに、ちょうど僕はラノベと出会います。

最初の一冊は忘れもしない、「NHKにようこそ!」です。

今でもバイブルだと崇めていますが、当時の衝撃は計り知れないですね。
知らない世界の知らないお話なんだけど、どう考えても現実世界の話だしエッセーちっくだし。

それと同時期に友達からおすすめされたのが「ガンズ・ハート」でした。
こちらは電撃文庫。ラノベの最大手との出会いです。

これがまあ、めちゃくちゃ面白い。
青い鳥文庫からYAにシフトしつつあった僕が、一気にラノベに系統したのはこの作品のおかげでしょう。

それからというものの、ブックオフに通っては100円コーナーからめぼしい中堅ラノベを探すのが僕のライフワークでしたね。

2006年:バスケ部に入部

今でも時折バスケするくらいにはバスケが好きなんですが、
当時5年続けていたサッカーに対して見切りをつけて、なんか別のスポーツやりたいなあと思っていろいろ探してました。
(あと、中学くらいになるとサッカー部って妙に不良チックになるよね。ちょっと雰囲気が合わなかった)

卓球部入ろうかなーとか思ってたんですが、なんか卓球部の部員が多すぎるっていうのもあったり
そもそも僕は小器用なタイプなので、ちょっとバスケのドリブルとかが未経験にしてはうまかったみたいで。

そんなこんなで調子にのって、学校で1,2を争う厳しい部活とも知らずにバスケ部に入部しました

夜8時まで練習とかザラでしたし、鼻血だらだら出るくらいビンタされたりしましたが
今思うと、顧問が同じだったから男女合同練習あったのってそれなりに青春ポイント高いなぁとおもいます。
(だから何かあったというわけでもないが)

1回だけ女子高生と練習試合組んだ(※)ことがあったんですが、その時ばかりはは流石に色気強めなお姉さんたちにドキドキしました。
まあ、負けるわけにもいかないので試合となればもう必死だったんですが。

※男子中学生と女子高生はボールサイズが同じなので試合ができる。男子高校生はボールサイズが違う

叩かれたり吐いたりときつい部活でしたが、根性論や理不尽を多少なりとも受け止められる胆力はこれがあったからなのかなぁと少し思います。
あと、基礎的な運動能力がきっちり上がりました。
スポーツテストでも中の上くらいは行くようになりました。

あと、怒られて一回坊主にしたのも良い経験だったと思います。
人生で一度くらいは坊主にしてみた方が良い。あれはあれで楽なんだ。
(あと、床屋で刈る時に「本当に良いんですね」って実際に確認されたのも印象に残ってる)

2007年:アニメCLANNAD放送・ニコニコ動画黎明期。ハヤテのごとく!アニメ放送

2023年現在でも付き合いがあるオタク友達に「やべぇアニメがある」と勧められた。
それがCLANNADだった。

初めて深夜アニメをリアルタイムで観たのもCLANNAD。

そして同時期、日曜日の朝にヤバいアニメが始まった。

そう、「ハヤテのごとく!」である。

この二つのアニメを知っただけでも相当なインパクトはあったはずだが、
それに拍車をかけるかの如く、「ニコニコ動画」が独自プラットフォームとして台頭し始めたのだ。

当初のニコニコ動画は、Youtubeの動画の上からオーバーレイでコメントを重ねるという
いわばコバンザメ商法的なサイトだったが、
2007年ごろ、完全会員制へのシフトと同時に独自の配信プラットフォームを用意し、ニコニコ動画として独立した動画サイトとなった。

CLANNADもハヤテのごとく!も、当時は違法アップロード全盛期と言うこともあり
毎週、最新話がアップされていったわけだ。

そして、それを素材にMADムービーが作られる。
ニコニコ動画黎明期の一番カオスなシーズンだ。

ちなみに、ハルヒ・らき☆すたといったアニメはその一つ前年、2006年放送のアニメだったので
それらについて、僕はニコニコ動画から存在を知ったかたちとなる。

CLANNAD、ハヤテのごとく!、ニコニコ動画

この3つによって、僕の人生は急激にCOOLJAPANの方向へと舵を切られることになっていく……

2007年:新世紀エヴァンゲリオンと出会う

ご存じの通り、エヴァンゲリオン自体は1995年の作品である。

とはいえ、数々のネットミームともなっていたり
ニコニコ動画にかじりついていればいやでも出会う場面はあるだろう。

そして、中二のクラス替えで新しく友達になった奴から、エヴァンゲリオンを勧められたのだ。

すぐさま(ネットで)全話見た僕は、わけがわからないまま旧劇場版に衝撃を受け。
その次の月。ヱヴァンゲリヲン新劇場版が公開されたのだ

もちろん映画館に見に行った僕は、内容があんまり変わらないこととアスカが出てこないことに落胆しつつも
この映像クオリティでもう一度エヴァが見れたことで、一気にエヴァファンの仲間入りを果たしたのだった。

奇跡的なことに当時、中学二年生の僕。シンジ君と同年齢である。
そんなこともあり、僕の心にエヴァの衝撃は深く刻まれた。

2008年:エロゲ原作との出会い、Routes

深夜アニメへの理解が少しずつ深まっていったあるひ、とあるアニメと出会いました

「君が主で執事が俺で」というアニメだった。

ハヤテのごとく!を知っていた僕としては「おっ執事物じゃん」と飛びついたものの
雰囲気の違いを少しずつ察していく。

そして、原作を調べたときにたどり着く。
エロゲー・美少女ゲームの存在に。

もちろんCLANNADを知っていたのでシナリオ重視の美少女ゲームがあることは把握していましたが
🔞のゲームってえっちなだけじゃ無いんだ!

こんなに面白そうなのがあるんだなと思い、すこしずつ興味がわいてきたのがこの時期だった。

そこからもう、🔞のゲーム……は真面目なので手を出さなかったんですが、
全年齢向けに改変された作品がいくつもPSPで出ていたので、めぼしい作品を何作かプレイしていきます。

その中で出会った、一番印象深い作品が「Routes」でした

アクアプラス、つまりLeafの名作ですね。
PSP版では、ボイスが収録されており、ヒロインに伊藤静さんや釘宮さんといった、ハヤテのごとく!でめちゃくちゃ出会った声優さんが居たり
そして主人公ボイスもある珍しい作品でした。

で、内容自体も僕の趣味ど真ん中を抜けていくような作品で
僕の中でNHKにようこそ!に並ぶ人生のバイブルの一つとなりました。

2008年:西尾維新との出会い

2007年に創刊されたガガガ文庫のファンになっていたこともあり、
古本ではなく新刊を求めて、ブックオフではなく本屋さんに行く機会が増えていました。

そして、出会ったのが「クビキリサイクル」でした

文庫本の癖に死ぬほど厚いあの見た目と、帯に書かれた推理小説という紹介文。

久しぶりに赤い夢を見たくなったぼくはそのままレジへと持っていき、西尾維新作品を読み始めることとなりました。

気づけば。図書館も活用しながら最終巻まで読み進めることとなりました。
西尾維新というやべぇ奴の存在を知ってしまったからには、他の作品も読み始めます。

そう、あの有名な「物語シリーズ」です。

2008年当時刊行されていたのは、傷物語までですね。

そして、西尾維新にどっぷりとハマった僕は、世界シリーズ・りすかシリーズにもきちんと手を出していきます。
受験シーズンなのに。

2008年:エレキギターとの出会い

人生が変わった一番の出来事ですね!!

とはいえ、ドラマチックな話などなく。

受験勉強の息抜きとして、ゲームをするのもちょっと良くない気がしたので
たまたま近くにあった親のギターをかりて弾き始めたのがきっかけ。

まあ、そのきっかけ自体も
ニコニコ動画で弾いてみた動画を見て楽しそうだなって思ったところがスタートなので
みごとなニコ厨です。どっぷりニコニコに漬かっています。

そこから、いろいろ調べて、
当時無料のDAWであるReaperとASIO4ALLで低遅延環境を作ったりしながら
パソコンのマイク端子にエレキギターを直刺しするというとんでもねぇ方法でギターを練習していました。

そんなこんなでギターにドはまりした僕は、
第一志望校に受かったらエレキギターを親に買ってもらうことになりました。

2009年:高校入学・マイギター入手

チャリで通えるけど徒歩だと遠いという、程よく寄り道しやすい高校へと無事に進学をキメた僕は
約束通りエレキギターを買ってもらい、ついにマイギターを手に入れました!

買ったモデルは、Ibanez RG370DF。
今でもエントリーモデルとして根強い人気を誇るIbanezの300番台シリーズ、その少しだけ上位な機種ですね。

フロイドローズブリッジという初心者には向かないブリッジを知らないまま購入し、
買った翌日に練習として行った最初の弦交換で6弦をプチりと切ったのはいい思い出です。

サッカーを5年やったのだから、バスケはもう少し続けてもいいよなということで
部活はバスケ部に入部しました。

まあ、軽音楽部が無かったからというのもあるんだけど。

数々のアニメ作品で描かれているような高校生活にあこがれていた僕でしたが、
もちろん何かが大きく変わるということもなく。スクールカーストの中間層でモブモブしていました。

2009年:OVERDRIVEとの出会い

🔞のゲームへの認識が改まって、いくつかのゲームを知ったある日
OP曲がすごく印象に残るゲームに出会いました。

それが「DEARDROPS」でした。

なんだかんだで未だにかかわりがあるというとこで、ある意味ではここも人生の転機だったのでしょう。

当時、DEARDROPSが開発中ということで
プレバージョンのOP動画が公開されたのですが、なんか聞いたことある声なんですよ。

ニコ厨だった僕は、RaiMの動画も見ていたので
「いや、これあきらかにプリコさんよな」と思いながら、曲の格好良さとOPのお洒落さに一気に興味を引っ張られます。

それで、過去作をあさった際に「キラ☆キラ」のOPを見つけたのですが、
それなりに長いニコ厨生活のどこかで出会っていて、その時に気になっていたが調べていなかった楽曲こそがこの「キラ☆キラ」だったと判明しました。

そこからはもうあれよあれよと。
ガジェット好きが高じて買ったiPodtouchに、アプリ版のキラ☆キラをインストールすると
ものの1~2週間くらいで一気に読み切りました。

当時、一番好きなバンドがd2bになるくらいの衝撃を受けました。

この翌年、DEARDROPSは発売されることとなりますが
僕は18歳になっていないので、プレイすることが出来ず月日はいくらか流れていきます……

キラ☆キラで語られるノーフューチャー感とロック=迸るスパークの感覚は、
未だに僕の音楽性の真ん中に居座っていると思います。

2010年:初めてのバンドを組んだ

高校の文化祭で、音楽室でバンド演奏が行われていたことで
はじめてこの高校に有志によるバンド活動があることを知りました。

そこから、運よくメンバーに誘われたりしながら
初めてのコピーバンドを組んだのが2010年の初旬。

定番のアジカン・9mmなんかをコピーしながら
バンドの難しさを実感していきます。。

その活動をするためにも、ついに僕ははじめてのマルチエフェクターを買いました。
VoxTonelabSTです。

オーディオインターフェース機能付きということで、かなりコスパが良い機材だったと思います。
つたない演奏で弾いてみた動画とかを上げ始めたのもこの時期です。

ニコニコとTonelabSTのおかげで、
演奏を録音・録画して自分で確認するという習慣が身についた気がします。
こうしてギターを長く続けてきた今考えても、かなり良い習慣が身についていてラッキーだなと思います。

そうして、組んだバンドで初めてのライブも経験します。
最初は市民センター的な集会所でした。そのうちライブハウスも1,2回経験しました。

当時から「黙って動かず弾くのは格好悪い」というスタンスだったので
かなりめちゃくちゃな動きとかしていたと思いますが、総じてめちゃくちゃバンドを楽しんでたんだと思います。

学園祭も出ました。青春ですねー。
まあ、特にモテるとかはありませんでしたが。

2011年:DEARDROPSのPSP版が発売

泣く泣く指をくわえてみることしかできなかったDEARDROPSでしたが、
早々に全年齢むけのPSP版が発売されました。

というわけで、予約購入してがっつりやりました。

キラ☆キラとは違い、学園生活に重きを置かない
よりバンドに重点を置いた作品になっていて、ちょうどバンドを組んでライブをいくつか経験したタイミングなこともあり、琴線に触れまくりでした。

なかでも、弥生ちゃんは2023年現在でも、僕のギターにおける心の師匠としての地位をもつ存在ですね。

「正確な音?そんなもん丸めてゴミ箱に捨てちまえ!」

この弥生ちゃんの台詞が、今の僕のギタープレイをとてもとても支えてくれています。
(弥生ちゃん自身はめっちゃ正確なプレイをするくせに)

2011年:バスケ部引退

高校の部活と言うのは夏前に終わるもので。

中学の頃はきつい部活で、なんとなく「やらされている感」もつよかったのですが
高校では、あえてきつくするとかは無く、むしろ中学で鍛えた土台のおかげか他のメンバーより体力があるような状態だったので、
考えてプレーしたりとか、バスケそのものに対しての面白さがどんどんわかってきて、
気づいたら結構バスケをするのが好きになっていました。

負けたくないと思えたし、後輩にレギュラーを取られたくないとも思えたので
結構きっちり青春してたなーと後から思います。

ということもあり、比較的真面目にバスケに打ち込んでいたんですが
結果は振るわず。夏前前くらいには引退となったわけです。

未だに忘れられないのは、引退のそのタイミング以上に
引退後のとある日の出来事です。

授業中うとうとして居眠りしていたんですが、
夢の中でバスケしてるんですよ。
それで、すげぇいいところで目が覚めるんですけど、
その瞬間夢から覚めたばかりの僕はまだ半分バスケをしていて、周りを見回してハッと思い出すんですよ。

「ああ、俺この前負けて引退したんだな」って。

授業中にふと泣きそうになりましたよ。
そこまでバスケが好きになれていたんだなと自覚した瞬間でもありましたね。

2011年:18歳になったのでエロゲ解禁

誕生日迎えたからええやろの精神で、18歳になった僕はついにエロゲに手を出します。

忘れもしない。初めてやった作品は
「涼風のメルト」
Whirlpoolの名作ですね。

そこから、OVERDRIVEで全年齢にコンバートされなかった「キラ☆キラカーテンコール」をやって
あのSUPER ROCK’N’ROLLERSの原型に出会ったりもしました。

エッロイ!!という部分の感動もあったのは確かですが、
エロシーンがあると、なんとなく恋愛観が少し変わるなとも思いました。
(まあ童貞なんですが)

2011年:d2b vs DEARDROPS

OVERDRIVE 5thanniversaryのd2b vs DEARDROPSに行くことにしました。

かねてより好きだった2作品のライブということでドキドキわくわくしながら参加したものの
AiRIさんの喉が絶不調だったのもいい思い出w

前半のDEARDROPSタイムは様子見で後ろに居ましたが
転換で前のほうに移動した僕はd2bの時は前4列くらいに居たんじゃないかなと思います。

君の元への大合唱と、AiRIの不調をフォローするYURIAさんが印象的でした。

2012年~:大学入学・軽音楽部に入る

オタ活とバンドを続けていた僕が第一志望校に合格することもなく。

第二志望の近所の大学にさらっと入学しました。

当時は得意な教科が物理だったのと、モノづくりをしたいという思いやインターネットネイティブ世代なこともあり、
情報系の学部に入学し、プログラミングでなにかを作ってやろうと意気込んでいました

 

……そうですね。多くの大学生の傾向として
授業をおざなりにしてサークル活動に本腰入れちゃう奴。あるよねー。

高校時代は無かった軽音楽部があるということで、しかも3つあるということで
僕は、練習時間や出演回数が確保しやすいという理由で、最も部員数が少ない軽音楽部に入ることにしました

まーそしたらあれよあれよと、忙しいし。
なんなら先輩の留年率がおおむね8割を超えるというやべー軽音楽部だったわけで。

色々と変なところはありつつも
音楽うまい先輩とかもいて、目論見通りライブの多い環境に置かれたこともあって
酒や遊びが多かったことは否定しませんが、音楽的にもなかなか得難い経験は積めたんじゃないかなと思います。

アナログ32chミキサーを使ったライブの設営からオペレーティングまでやった経験なんて
バンドマンの何割が経験してるかって話ですよ。

もちろん、そこで出会った友達も、いまだに遊んだりライブしたりするくらいのかけがえのない存在なわけで。

人生の転機を3つ挙げろと言われたら、間違いなくこの大学生活があがるなーと思います。

ちなみに、僕がメインでやったバンドは
9mm、ガガガSP、ミッシェル
というラインナップ。キャラ強い。

留年率7割の先輩と同期に囲まれつつも(僕の世代の前後は少し留年率が下がった)
なんとか気合でストレート卒業しました。

2013年~:就職・初めてのバンド活動

就職しました。サラリーマンです。IT系です。

軽音楽部という区切りも無くなり、音楽を続けるにはなにか能動的に動く必要があると思った僕は
とりあえず、なんかバンドを組んだ方が良いなと思って、コピバン系のバンドメンバー募集を探します。

そこで久々にmixiを使い、見つけたうち候補として残ったのが2つの募集でした。

1つ目は、ボカロ系コピーバンド。
とってもイマドキですね。ボーカルが女の子なので、可愛いとテンション上がるなーとか思いました。

2つ目は、OVERDRIVE・milktub系コピーバンド。
……マジかよ。
本当に偶然、OVERDRIVE系のコピーバンドのメンバー募集がそのタイミングであったんです。

そもそも高校時代は「OVERDRIVEのコピバンやるぞ!」みたいに思ってたんですが
大学時代は講義と軽音部でそれどころじゃなかったので、ある意味で高校時代からのやりたいことリストの一端だったわけです。

ボカロバンドなんて掃いて捨てるほどあるけど、
これを逃したらOVERDRIVEのコピバンのメン募なんかに出会えるわけないよなぁ?

ということで、ドキドキしながらmixiでメッセージを送り
初めて、もともとの友人以外とバンド活動を始めることになったのでした。

後から聞いたら、ちょうど前のギターが抜けたタイミングだったとのこと。めぐりあわせだー!

そうして組んだバンドが、ライブ出るにあたり囲碁研究部と名付けられたわけです。

その後、囲碁研究部として活動しながら
SUPER ROCK’N’ROLLERSと対バンしたり、いつか弾いてみた動画を見ていた人と対バンしたり
なんかアルテットの中の人が歌ってるバンドと対バンしたりとか
いろいろあったのは反逆のメイプルとかいうやべー素晴らしいイベントのおかげだったりします。

2016年:バンドを組む

ついに、オリジナル曲をやるバンドを組むということになりました。
大学時代の仲間とオリジナル曲でライブをするバンドを組むことになりました。

それが「カクテルを吐け」です。

バンド活動の傍ら、作曲やレコーディング・ミックスといったエンジニアリングに手を出していくことになります。

その経験から、少しずつ湧いてきた野望が2018年に結実します。

 

2018年:ソロ活動をはじめる。n-s-labのはじまり

DAW操作の知識もついて、作曲もできるようになってきた。

いまこそ、ソロ活動を始めるときだ!ということで
n-s-labという屋号を定めて、音楽系の同人活動を始めると決めて動き出したのが2018年でした。

はじめはコピーやアレンジ動画のための打ち込みとか弾いてみたメインでしたが
少しずつ曲作りの習作を増やしていきます。

2019年:オリジナル曲投稿・M3サークル参加・SRRS加入

人生の転機というか、
社会人になったことで、停滞していたいろいろが動き始めたのがこの2019年と言う年になりました。

自分のやりたいことをやろうと思ったのが2018年なら、行動に移ったのが2019年。

n-s-labとしてはじめての曲公開。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm35494086

そして初めてのイベントへのサークル参加。

処女作でCDプレスまで経験した僕は立派な同人作家。。。

そして、SUPER ROCK’N’ROLLERSへの加入。。。

2か月くらいでデビューライブでワンマン20曲とかいうバカみたいなスケジュール感だったのも
今では笑い話ですね。

ガッツリ音楽を続ける方向に舵を大きく切った、転機の1年だったと思います。

2020年:COVID19襲来

名前の通り19年からではありますが
本格的な流行は20年初旬からだったという記憶です。

これによりライブは激減。
バンド活動には暗雲が立ち込めますが、
個人活動はより一層時間がとれるようになりました。。。。

コロナ禍でも、M3はなんとか開催してくれていたので、ちょくちょく参加しながら、バンドと同人活動の二足の草鞋生活がすすみます

~2023年:ウィズコロナ、生誕30周年

ようやくウィズコロナと言うことでライブイベントも増えてきて

5月には、SUPER ROCK’N’ROLLERSでmilktub先輩のオープニングアクトに出演することになったりしました。

うーん、こんなにバンドや音楽をやってるなんて大学時代だって想像してなかったぞ……

 

 

そして、晴れて8月でさとうたくや生誕30周年を迎えるわけです。

 

こうして振り返るってみると、

多感な時期である中学二年生のときに、オタクとしての土台を固めて
環境が変わりやすい大学入学でメインの活動が音楽にシフトしていって
社会人3年目という、程よくこなれたタイミングで社会人としての生活の方向性が決まる

という、とても転機がわかりやすい人生を送ってきてますね!

次に転機が来るとしたら、音楽で大成功するか人生のパートナーを見つけたとかそういうところだと思います。

 

一生バンドを続ける、なんて考えは持ってないんですが、同人活動は続けられるだけ続けていきたいですね。

30歳というまた一つの転機になりやすいと言われる年齢です。

 

というわけで今日のBGMはこちらでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA