白昼夢と青写真に関する個人的メモ書き -ラストシーンの世凪は世凪なのか?-

なんかワサビさんとミスターフジノが語るとかいうステキな会が11/20に開催されるみたいなので

いろいろと内容を思い出しつつ感想とか考察とかをしようと思ったんだけど。

 

僕は人の感情の機敏とかに疎い人間だし
自分の感情を文章にして伝えるなんてのも上手くできる人間ではないので

ラストシーンの世凪は世凪なのか?

という命題に絞って、
ゲームとアニメで身に着けたにわか知識ネット検索での付け焼刃
いろいろと思考を巡らせてみたいと思います。

完全ネタバレありきの内容なので、覗く人はプレイ後に覗いてみてください。

 





たまに、LaplacianのDiscord眺めてるんですが
普段は「おち○ちん」とか「クソ童貞」とか言ってる人たちが真面目に白昼夢と青写真の考察していて、ギャップに笑いそうになるのをこらえながら、興味深く読ませていただきました。

そこで感じた疑問や、こうあってほしいという想いを下記に書き連ねていきます。

中の人もファンも変人しか居ないな……

 

ということで、以下
考察の皮をかぶった妄想です。


※呼び分けについて

よなぎちゃん:自身の脳に記憶が正しく保存されている世凪
よなぎさん:脳の反応をリープくんが疑似的に再現している世凪
よなぎさま:エピローグで現れた世凪
世凪:記憶や自我で区別しない、概念や肉体としての世凪

かいとくん:CASE-0幼少期の記憶を持つ海斗
海斗:思考空間でCASE-1~3を経験する、記憶のない海斗

 

命題:エピローグの世凪はかつての世凪なのか?

テーマである記憶と人格という部分に関わる、
作中に答えの明示されていない命題。

物語の展開の各要素の理由・条件を考えながらこの命題について考えたい。

と、その前にHPの白昼夢の青写真の紹介文を引用しておきたい。

何かの判断を下すとき、多くの人は過去の経験を手がかりにする。

過去のデータがその人の行動を支配する。

そして人は、行動を見てその人の個性を判定する。

つまり我々は、間接的にその人の過去を個性だと定義している。

では、記憶にたいして削除、創出という操作ができるようになる未来がきたとき、
人の個性は何によって定義されるのか。

揺らがない個性というものは存在するのか。

個性や自我と言うのは
過去の経験の積み重ねによる、外的刺激への反応や対応する行動によって
間接的に観測しているにすぎない。

という部分を頭の端におきつつ、
人格の定義を
世凪の”記憶”とそれを行動や反応に昇華させる”自我”
という2点にわけて、要点を再確認していく。

 

よなぎちゃんへの外科的処置によって遊馬は前頭葉を切除したが、その結果として世凪はどうなった?

 

①記憶を保持する部分をすべて消去した?

②記憶を処理する「思考力」や「判断力」を奪った?

 

①記憶を保持する部分をすべて消去した場合
→CASE1-3のような夢が仮想世界に現れること自体が矛盾している。
つまり、記憶をつかさどる部分をすべて消去できていないため①は間違い。

②記憶を処理する「思考力」や「判断力」を奪った
→①が矛盾しているので必然的にこちらが有力。
記憶そのものはあるが、それを引き出したり
その記憶に応じた感情や反応を示すはたらき、つまり自我のはたらきを切り取ったということ。
ただし、遊馬がなぜ記憶を奪わなかったのかという問題が残る。

 

ちなみに、CASE-0で海斗が夢に入る際に全健忘となる必要があり、薬物を使用している。
にもかかわらず、CASE1-3幕間には見た夢の内容を覚えていることから
出来事を記憶する脳の作用とそれを引き出す脳の作用は残っていることがわかる。
つまり、この時代には少なくともエピソード記憶だけをなくす方法が存在したということ。
よなぎちゃんに使えば、ベッドで寝ているので薬物の継続投与も可能なはず。

→つまり、記憶が残っていたのは奇跡でもなんでもなく
遊馬は意図的に記憶を奪わなかったor記憶そのものは奪えなかったのではないか。

 

※エピソード記憶
 「誰とどこで何をした」のような、自身の経験の記憶のこと
 反対に「このボールペンは上部を押すとペン先が出る」のような知識にまつわる記憶は”意味記憶”などと言って区別される。
 意味記憶も失った場合、ヒトは赤ちゃんレベルまで行動の質が下がるが
 エピソード記憶のみ失う場合は、知人や自分の事をぽっかり忘れた状態、物語でよく見る「記憶喪失」の状態になる。

 

※実在する前頭葉切除の施術について
ロボトミー手術と呼ばれる手術と類似するものと思われる。(シュタゲとかで耳覚えがあるかも)
元々は躁鬱患者などの突然のヒステリックなどを防ぐ治療として考案されたが
前頭葉を切除する副作用として
感情や意志といったヒトをヒトたらしめるはたらきをなくしてしまうことが分かり現代では行われない。

 

 

★なぜ遊馬は記憶そのものを奪わなかったのか

 

①思考空間の生成の基となるデータが記憶だったため

②思考空間の生成に記憶の処理が密接にかかわっていたため

③遊馬も思う所があって奪えなかった

 

①思考空間の生成の基データが記憶だったため
記憶を奪ってしまうと、思考空間を形成するためのよなぎちゃんのイメージそのものが失われるため、消せなかったという説。
ただ、かいとくんの全健忘はエピソード記憶のみの全健忘だったので、
思考空間の生成に使われるような記憶はきっとエピソード記憶ではないので、この説は薄い気がする。

②思考空間の生成に記憶の処理が密接にかかわっていたため
記憶の読み書きのようなはたらきは、思考空間の生成に必要な部位であったため残すしかなかった。
「外科的措置も限界まで行ったが、これ以上切り取ったら思考空間そのものがなくなってしまう」との発言も遊馬からあったので、遊馬としても思考空間の生成に必要な部位以外はすべて切り落としている状態のはずだ。
例えば、よなぎちゃんが他の人のイメージを受け取り、それを反映した思考空間の生成を行うということは
1フレーム前の思考空間の状態と、受け取ったイメージを一時的に保存する仕組みがひつようになるはず、とか。

③遊馬も思う所があって奪えなかった
記憶を削除しなくてもカイトプロジェクトを完成させることができるため、
何かの折によなぎちゃんが不要になった際に、前頭葉部分を補えば記憶を呼び起こせるようにかいとくんに計らった説。
科学者としての遊馬を否定する説だし、本編中の遊馬の信念からしてもあり得ないと思う。
むしろこんな無駄な躊躇をする遊馬は遊馬じゃないとすら思えるのでボツ。

 

最も有力な候補は②であり、
つまり、カイトプロジェクトが実行された段階でも、脳内によなぎちゃんの記憶は確かに残っていた、という可能性が出てきた。
ロボットのように無反応になってしまった世凪は
完全に記憶を失われたのではなく、脳内に残っている記憶についても読み出したり、それを感情や行動として表現する能力がないというだけ。

その人の行動から自我・記憶を間接的に読み取ることしかできないので
他人から見れば、世凪は記憶も自我も失った状態に見えるはずだ。

 

余談ですが、世凪が発症していたとされるアルツハイマー型の記憶障害についても、発症しても記憶自体は脳内に残っており、それを思い出す働きが弱まることで記憶障害が起きているという仮説があるそうです。
ということは、前頭葉の切除と近い状態なのかもしれませんね。

○よなぎさんの自我について

脳というのは部分によって役割分担をしているものの、その構造自体に大きな部位差はなく
もし損傷した箇所があれば他の部位がその役割を肩代わりしようとするはたらきがある。
(事故で左半身の運動をつかさどる部分を損傷したが、リハビリで左半身が動くようになるみたいな話があったはず)

世凪は外科処置によって自我のはたらきをする脳の部分を切除されたが
残った脳の部位が、失った前頭葉の代わりを担うかたちでわずかな自我を生み出し始めた。
ただし、完全な自我ではないことから、
もともと強く記憶が残っている要素ほど脳内の反応が大きくなる、つまり大切な人であるかいとくん(海斗)や出雲たんに関する刺激にのみ強く反応し、
かいとくんは、そんな脳の仕組みを理解した上で
CASE1-3の夢の中でそれぞれの海斗(と出雲たん)との生活を通して、世凪の脳の反応を確認することで、なくなった前頭葉を補完しているのが脳のどの部分が担っているのかを確認する。
そうして見つけた、ポスト前頭葉となる部分の処理をリープ君が常に補助することで、よなぎさんの自我、つまり外的刺激や記憶に対する反応を再現している

ただし、CASE1-3で世凪以外の人物として動いていたのは実質的には海斗と出雲の二人。
海斗と出雲に対する反応をする部位しかマッピングできていない。

たとえ脳内にさらにたくさんの記憶が残っていたとしても、
記憶を処理したり外的刺激を感情として処理するための仕組みが、海斗と出雲にしかはたらかない状態。
他の優先度の低い人物に対する処理についてはマッピングできていないため、処理の補完が不可能であり
遊馬など、他の人物について思い出すことができなかった。

そして、さらにいうなら
現実世界に居るのはマッピングの際に触れあっていた海斗ではなく、記憶を持つかいとくんである
という小さなズレもあって、よなぎさんの感情の処理と記憶されている感情にはギャップが生まれたはずだ。

その結果が、
 「わたしは――もう、前のわたしじゃなくなっちゃってるんだよ」

 

○よなぎさんが世界になる直前の思考空間について

ここまでの過程で、
・世凪には記憶自体は残っている
・記憶を処理したり物事を判断する脳の機能がほぼなくなっている
という状態であるという仮説を立てている。

なので、この思考空間によなぎちゃんとしての記憶が存在すること自体は問題ではないが、
記憶を処理するはたらきを世凪は失っているのに
どうして思考空間にはよなぎちゃんが出てこれたのかということは気になるポイントだ。

でてきたのはかいとくんが入り込んだ思考空間なので
参加者の共通認識が具現化する世界だ。
つまり、このタイミングでの参加者はかいとくんとよなぎさんのみ
よなぎさん側は自我の働きをする部分を抑え込むようにされているはずなので、
結果的に参加者はかいとくんのみのはず。

物語としては美しいポイントではあるが
このシーンの会話そのものがかいとくんの妄想である可能性すら出てきた。。

ただ、思考空間自体をつくっているのは世凪であり、
その基となるデータとして、世凪の記憶が使われているはずなので
かいとくんの脳やカイトプロジェクトの全処理能力を使って、
世凪の脳に残るよなぎちゃんの記憶を読み出し、感情や行動として処理できるような仕組みがほんの一瞬だけ出来上がっていたのかもしれない。

そうだったらいいな。

 

○よなぎさまはどうして思考空間に現れたか

かいとくんが、カイトプロジェクト内で世凪の物語を語るとき、
最後はこう締めくくっている。

 「そして、どうか語り継いでほしい。この世界に生きる、あなたたち自身の口で」
「かつて――世界と呼ばれた一人の少女が、確かに在ったことを――」

かいとくんは世凪を”世界である”と語っている
つまり、参加者の大多数の共通認識として出来上がったのは
「かいとくんの語っていた“世凪”という少女がこの世界を保ってくれていること」であって
「よなぎさまはいつか僕の目の前に現れるんだ!」という内容では無いはず。

その話を聞いて、参加者の大多数が「世凪に会いたい」と思ったのならば
その共通認識から世凪が思考空間に現れるかもしれないが、
思考空間に影響を与えるほどの大多数の人間が、お話を聞いただけで強く世凪の存在をイメージするというのは現実的に考えてありえないのではないか。
それこそご都合主義すぎる。

つまり、よなぎちゃんと二人で会った母さんのような
思考空間の参加者全員の共通認識による偶像としての世凪の顕現≒よなぎさま
というのはそもそも間違いなのではないか。

しかも、偶像として生まれた場合の世凪は、かいとくんのお話を基にした存在なので、かいとくんの期待している反応しか返さない存在となってしまうはずだ。
(そんな存在でも、海斗は世凪であるとみとめるのだろうけど)
エピローグのような、物語の続きを書き続けるような世凪が、共通認識によるイメージの実現で出来上がるとは、僕は思えない。

 

思考空間に入る直前、遊馬はかいとくんに言っていた
「仮想世界での共通の認識は接続した人たちの相互機能強化を強める」と。
つまり、かいとくんが世凪の物語を語り伝えたおかげで、仮想世界に接続しているすべての人に相互機能強化がとてもはたらいている状態となっているはずだ。

世界となっている世凪自身も例外ではなく、
地下住民の大半の人間、つまり200万人分の脳という高性能プロセッサが相互機能強化によって世凪の脳にも影響を与えているとするならば
かつて、よなぎさんに行っていたリープ君と出雲たんによる補助以上の処理が世凪に作用していたかもしれない。

さらにいうなら、世凪の物語を聞いたときの
脳の反応、感情の起伏のサンプルが200万人分サーバーに蓄積されているはずだ。

・200万人分の脳の反応統計データとそれを処理するための相互機能強化
・世凪の脳の中に残った記憶とよなぎさんが読んだ3つの小説の記憶

その2つが合わさり、世凪の中に新たな自我が生まれたとしたら。
それがよなぎさまだとしたら。
かつてのよなぎちゃんの記憶や感性を保持しつつ、その記憶の処理を200万人との相互機能強化で補助している存在ということになる。

自我があるということは、一人の存在として思考空間に存在することができるようになり、よなぎさまは思考空間に独立した存在としてあらわれた。

つまり、よなぎさまはみんなの作り上げた偶像ではなく、
世凪としての自我が確かに存在する、一人の少女というわけだ。

だって、最後によなぎさま自身もこう言ってる。
「――女神さまじゃ、ないよ。」

 

○結論としてよなぎさまはよなぎちゃんなの?

ここであらためて白昼夢の青写真のHPの記載を見直してみよう。

 何かの判断を下すとき、多くの人は過去の経験を手がかりにする。

過去のデータがその人の行動を支配する。

そして人は、行動を見てその人の個性を判定する。

つまり我々は、間接的にその人の過去を個性だと定義している。

では、記憶にたいして削除、創出という操作ができるようになる未来がきたとき、
人の個性は何によって定義されるのか。

揺らがない個性というものは存在するのか。

間接的にその人の過去、つまり記憶を個性だと定義しているのであれば、
世凪の脳内のよなぎちゃんの記憶を引き継いでいるよなぎさまは、まぎれもなくよなぎちゃんであると言えるだろう。

え、ここまで長々と語ってきておいて
最後はこんな結論のつけかたでいいのかって?

 

僕は
ラストシーンのよなぎさまはよなぎちゃんである
と言いたいがためにここまで論理展開をしてきたんだからいいんです。

 

やっぱり物語はハッピーエンドじゃないと。

 

○まとめ

ラストシーンの世凪はかつての世凪にきわめて近い存在だ!

 

今回の論点のポイントをまとめてみる

・前頭葉の切除だけでは脳から記憶は失われない。
 →ただし記憶を感情や行動として昇華する自我の働きがないため、他人からは記憶も無いように見える
・よなぎさんは特定の刺激しか感情として処理できないため、記憶と感情にギャップが生まれた
 →よなぎちゃんと別人のように感じてしまった
思考空間住民の共通の認識による相互機能強化は世凪にも機能強化をもたらす
・ラストシーンのよなぎさまは、女神さまではなく自我を持つ一人の少女。

 

無事にかいとくんはよなぎちゃん≒よなぎさまと再会できてめでたしめでたし!

 

ただ、すこし先の未来を想像すると、
共通の認識による相互機能強化によって、よなぎさまの自我はたもたれている状態なわけで。
もし住民が思考空間から出ていく選択をしたら、同時によなぎさまの自我も消えていくということで、また別れの物語になってしまうなとふと思いました。

 

○最後に

今回の僕の妄想については
一応ネットで検索したりして、脳のはたらきとか記憶に関する知識を詰め込んだうえでの論理展開ではありますが
見ていたネットの情報が正しいか不明だし、

そもそも僕は、「ラストシーンのよなぎさまがかつてのよなぎちゃんと同一だといいな」っていう結論ありきで話をすすめているので
非常に思考バイアスのかかった内容となってます。

ここまで読んでいるような奇特な方は理解していると思いますが、
「こういう考え方もあるんねー」程度の内容だと思っていただけると良いと思います。

 

これ以降は、
僕がいろいろ考える際の切り口として、まとめたり調べたりしたメモを転記しておきます。

 

物語内の要素をフィクションかそうでないかでまとめてみる。

★明らかなフィクション要素(ちょっと現代科学の延長線上になさそうな要素)

・よなぎちゃんの思考空間を共有する能力
よなぎちゃんのイメージをそのまま他者に伝達する能力。そうして出来上がる空間を思考空間とかいとくんは呼んでいた。
→超能力でしょう。Sukoshi Fushigi 要素だと思います。
まぁ遺伝子改造で発現云々と言えなくもないかもだけど……
そもそも人間にそんな強い電波を発信したりする器官がないはずなのでフィクションととらえて良いはず

・基礎欲求欠乏症-ユーフォリアシンドローム-
遺伝子改造の影響で発生した、脳は動いているが運動野からの出力が脊椎の神経に伝達されない病。
発症のトリガは「個人の欲求が満たされたとき」
→トンでもない設定ですが、すべては「遺伝子改造の影響」とのこと。
心因性による障害とかもあるので、一概には言えないとは思うが、
それにしても”幸せになったら死ぬ”なんていうのは、よっぽど苦しんだ種が進む進化の最終形態な気がする。

・パラグルコース
南極の氷から新しく見つかった未知のエネルギー源を人工的に再現!
脳のみが吸収するエネルギー源となった。
→可能性はゼロとは言わないが、あったとしても人間の進化の過程でとっくに吸収・分解能力が廃れていると思うので
個人的には明らかなフィクションと判断したい。
もしかしたら、遺伝子改造の結果、新しく分解できる要素がたまたま見つかっただけかもしれない。

・記憶を消す薬物
かいとくんがよなぎちゃんを取り戻すために思考空間に入る際に服用した薬。
現代科学では脳のどの部分がどうやって記憶を司るのか判明していないため、実現不可能と思われる。
記憶を引き出すor書き込む機能を弱らせることは、現代でもある程度可能となっているが
幕間で夢の内容をはっきりと覚えていることからも、かいとくんが使用した薬は現代の技術の延長線上に無いことがわかる。

 

★程よく現代の科学の延長線上にありそうなSF要素

・脳への直接刺激による感覚操作
→某SAOとかでも良く出てくる、脳波とか今HOTな研究分野なのでSF要素として良いと思う。

・遺伝子改造
→人体には倫理的にも、白昼夢にあるような影響が数世代後に起こる可能性もあるため行われていないが
植物や動物については実際に行われている技術。

・アロマプリンター、(パーツ)プリンター
アロマプリンターは匂いを再現する、パーツプリンタはもろ3Dプリンターっぽい。
→本編中にあるようにヒトの受容体は約400種。現時点でも化学的な組み合わせである程度の再現は可能であり
未来ならより緻密な再現が可能だろう。

・睡眠薬
本編内ではレム睡眠を維持するものと、ノンレム睡眠を維持するものがあった
現実でもそれに近い作用をする薬剤はみつかっており、ノンレム睡眠を維持するものは睡眠薬として処方されることも多い。
睡眠薬が必要になる患者は大抵不安による精神疾患をもっているため、悪夢を見てしまうレム睡眠を維持する薬はあまり一般的ではない。

・出雲たん
アンドロイド。高性能。かわいい。

・りーぷくん
補助端末。高性能。かわいい。

★フィクションっぽいけど実在する要素

・かいとくんの記憶をすべて忘れず覚えている能力
→調べてみたら実在するらしい。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201702_hsam60/

・よなぎちゃんの前頭葉の切除
ロボトミー手術と呼ばれる手術のこと。(シュタゲで耳覚えがあるかも)
元々は躁鬱患者などの突然のヒステリックなどを防ぐ治療として考案されたが
副作用として感情や意志といったヒトをヒトたらしめるはたらきをなくしてしまうことが分かり現代では行われない。

 

思考空間について比べてみる

 

遊馬研究室の初期仮想空間(遊馬型)について
視床に対する外部的刺激によって参加者に情報を送信する。
視床は嗅覚を除く感覚入力を中継する部位のため、嗅覚以外の感覚は実際と変わらないレベルで再現できる。
ただ、視床に特化して研究されたため嗅覚に対する情報は完全に仕様外であるため、結論としてオモチャの域を出ない。

よなぎちゃんの思考空間(単一思考空間)について
単体での機能は、よなぎちゃんが思い描いた景色を他の人に同調させることだけ。
そのため、景色のディテールはよなぎちゃんの知識量と対応するが、よなぎちゃんの脳信号を基にしているため
人間が得られる外的刺激・感覚に対して、欠落する情報は基本的に存在しない。究極の仮想空間。
ただし、親密な関係であればある程度脳波が同調して、よなぎちゃん側で相手の機敏を読み取ることはできる?
※匂いを嗅いだら焦るとか、首をかしげると気を使うとか、かいとくんの動きや感情の機敏は伝わるみたいだが、言語の伝達は不可。

ヨナギ型思考空間α(複合思考空間)について
よなぎちゃんのイメージ送信を基に、サーバー側のライブラリで思考空間を再構築。
再構築したサーバーから、遊馬型仮想空間と同様の技術で参加者の脳に情報を送信。
それぞれの参加者の物理的影響については、各参加者向けにサーバ側で調整したものを参加者に送信する。
各参加者の脳の反応を生体チップ経由でサーバーに返し、サーバー側はそれに合わせて世界をリアルタイムで修正する。
サーバー側の送信対象によなぎちゃんも含むことで、よなぎちゃんにも参加者の世界が送られるため、参加者とよなぎちゃんの会話を可能とした。
α段階では、思考空間自体の構築はよなぎちゃんの能力に頼っている状態。

遊馬型とヨナギ型の差
・嗅覚を感じることができる
→その変化だけのはずなのに、大脳辺縁系のありとあらゆる部分が刺激されている。
・心理状態や興奮度合いによる反応の変化に対応している
→参加者の環境や心理状態を考慮したうえで、参加者の脳の反応を理解し、処理する必要がある。
よなぎちゃんはそれを脳内で自動処理してるのでスゴイ。

ヨナギ型仮想空間β(複合仮想思考空間)について
α版でよなぎちゃんに他の参加者の情報を送ることに成功したため、
他の参加者の情報を受けた際の脳の働きを観測、模倣することで、コンピュータでよなぎちゃんと同等の思考空間を再現する試み。
”エミュレータ”とかいとくんは言ったが、エミュレータとシミュレータの違いを考えると納得できる。
今までの遊馬型は、世界の見た目再現する、つまり空間シミュレータの延長線上の技術だったが、
今回のヨナギ型βは思考空間を生み出すよなぎちゃんの脳をはたらきを模倣する、つまり世界の作り方を再現する技術。
そうした内部構造に着目した模倣技術を”エミュレータ”と分けて呼ぶ場合があるため
遊馬型との差としてあえて”エミュレータ”とかいとくんは呼んだと思われる。

ちなみにエミュレータの挙動と実際の思考空間とのギャップを埋めるのは
かいとくんの完全記憶能力ありきの作業となるので、常人にはほぼ不可能と思われる。

そうしてできた基礎設計の上に、遊馬氏が全力で頑張っても
参加者10000人を超えるあたりからエラー続出。コンピュータによる処理の限界へ到達した。

ヨナギ型仮想空間γ(カイト・プロジェクト)について
遊馬によって前頭葉切除されたよなぎちゃんによって作られた思考空間
よなぎちゃんの意識が介入しないので、参加者全員に公平な理想的な思考空間となった。
自身が犠牲になってまで作った世界にもかかわらず、そこに最も大切な存在であるかいとくんがいないため
回復したわずかな自我がかいとくんを呼び出し、エラー発生。
その後、よなぎさんの決断と、その過程でかいとくんも思考空間内に移住することとなったため
以降は安定稼働している模様。

 

○記憶ってそもそも何?
そもそも脳みその構造から考える必要があるのだけれど
ざっくりいうと、たくさんの脳細胞がお互いに信号を送り合うような仕組みになっている。
なので、HDDに保存したデータのようにわかりやすく「いつどこでなにがあった」と書かれているわけではない。
その信号の流れる経路や、流れやすさが脳の「反応」であり、同じ反応を取るということが「記憶」なのではないかと言われている。
脳細胞同士の信号の流れやすさは、より大きな刺激であったり、繰り返し同じ刺激を加えることで同じ経路で信号が流れやすくなる。
そうして流れやすくなった経路に対する反応は”より強い記憶”と言えるだろう。
脳の細胞1つとかではなく、脳の複数の部分の反応から記憶が成り立っているため
HDDを抜いて記憶をリセット、というように記憶を簡単にしまうことはできない。

複数の脳細胞がどう電気信号を流すか、その流れやすさや経路などの複合的な状況から、記憶を思い出すとされている。
脳の一部を切除したから、HDDを抜いたみたいに記憶がなくなりました。とはいかない。
たとえ、脳科学が発達した未来であってもこの事実は変わらないものと思われる。

https://japan-brain-science.com/archives/1969
https://gigazine.net/news/20150928-how-memory-form-lose/

 

白昼夢と青写真のSF要素に面白さを感じた人にお勧めしたいコンテンツ

記憶と人格みたいな哲学に足突っ込んだSFとか
未知のウイルスなどの設定を上手く使ったSFとか

そういう疑似科学とでもいう、オモシロSFが僕も好きなので
似たようなにおいを感じる作品を幾つか上げておく。

というかこうした作品で得た知見や知識を基に、僕の妄想は成り立っていると思う

景の海のアペイリア
https://www.silkysplus.jp/game/apeiria/

VRゲームがデスゲームになるというどこかで聞いたことある設定や
主人公の変態っぷりにフォーカスが行きがちだが
ストーリの大筋を担う部分はどっぷりSF。
あんまり言うとネタバレになっちゃうけど、白昼夢と青写真で上がっていたような記憶に関する話も扱ってたり、よくSFで題材にされる”観測者効果”とかを丁寧に説明しているので、こういう量子力学系のSFの基礎知識を身に着ける作品という点でもかなりおススメ。

EVER17
http://5pb.jp/games/ever17/
(公式サイトってもうないのかなw)

エロゲ業界も盛り上がってきた時期に全年齢として発売された作品だが
SF要素とシナリオのトリックに関して評価が極めて高い。
発売当時のイメージなので、逆に古めかしく見える技術も散見されるが
こちらも観測者効果などのド定番の要素を上手く扱い、
実在と非実在の境界といった哲学的な要素もちりばめた名作SFなので
絵柄に拒否感なければ一見の価値あり。

シュタインズゲート
http://steinsgate.jp/

いわずもがな、超有名作。
タイムリープと観測者効果がメインとなる骨組みで非常にSF要素がわかりやすく描かれているため、広い層に受け入れられたんだと思う。
続編のゼロでは、タイムリープ要素を軸としつつも
脳の記憶とAIといった要素を組み込むことで、
実在や人格といった哲学的な部分にも触れた内容となっている気がする。
ゼロを未プレイのSF好きの人はゼロまでやるべき。

攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL
https://www.ghostintheshell-sac2045.jp/

僕もアニメ映画とハリウッド版、原作漫画を少し読んだことがある程度のレベルで、SACとかは終えてないのだけど、お勧め。
ロボットやサイボーグといった技術的な面でのSFを前面に押し出しつつも、問いかけているのは「自分の存在とは何か?」みたいな哲学的命題だったりして
白昼夢と青写真のテーマに近いものを感じさせられる。

と、いうか、あらためて考えてみると
攻殻機動隊のゴーストの話と、白昼夢と青写真の記憶と人格の話ってかなり近い話をしている気がしますね。

 


何かの判断を下すとき、多くの人は過去の経験を手がかりにする。

過去のデータがその人の行動を支配する。

そして人は、行動を見てその人の個性を判定する。

つまり我々は、間接的にその人の過去を個性だと定義している。

では、記憶にたいして
削除、創出という操作ができるようになる未来がきたとき、
人の個性は何によって定義されるのか。

揺らがない個性というものは存在するのか。

 

たとえ、記憶がひとつなぎに繋がっていたとしても
果たして揺らがない個性というものは存在するのだろうか。

常に変化し進化し続ける存在こそ人間であり、
揺らがない個性なんてものは偶像でしかないのではないか。

我々は個性そのものを観測しているのではなく、
対象の行動や反応を基に、自分の中に相手の個性に似たなにかを投影し
それを相手の個性だと定義している。

ゆえに、相手の記憶や行動が直接個性を揺るがすことは無く
最終的に個性を定義するのはほかならぬ自分自身なのではないか。

 

 

 

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