HELLO WORLD を見終えて。(ネタバレあり)

今更かよ!って感じですが。

アマゾンプライムで、しばらく有料レンタルだったんですが
ついに無料になっていたので、時間が空いたタイミングで見てみました。

タイトルのHELLO WORLDというあたりである程度想像つくと思いますが
WORLDという単語の通り、ストーリーの格子はいわゆる「セカイ系」であり、
そしてプログラミングの”HELLO WORLD”から想像できるように、世界観は「近未来SF」というところです。

売り文句としては、「最後の1秒で全てがひっくり返る」でしたが、文字通りひっくり返りましたね。

 

世界観や、ストーリーの感じから僕が思い出したタイトルは
・SAO,アリシゼーション編
・シュタインズゲート
・景の海のアペイリア
・なつくもゆるる
あたりの作品でした。この辺の作品が好きな人にはお勧めできますね。

どこでどう思い出したかは、ネタバレ感想の方で。

シナリオとしても展開がまとまっていて、
いらんとこはダイジェストにして流して、欲しいところは濃密に描く。
1時間30分という枠をうまく使い切っていた感じで好印象でした。

 

最近は、曲を作ったり物語を作ろうとしたりと
クリエイティブな活動を増やしているので、何か作品を見たらある程度分析的に感想を残しておこうかなと思いまして、
そんな中で、今回せっかく映画を1本みたので、その感想をつらつらとみた直後に記録してみようと思います。

ということで、以降はネタバレありの感想とか思ったことをあまりまとめずに記録しておきます。
上にあげた、”僕が思い出した作品”のネタバレも所々含んでしまうので、それぞれの作品をまだみようと思って見てない人は見てからの方が良いかもしれません。。見る気もない人は、この感想を見てやってみようかなって思ってもらえたら嬉しいな。

 

ストーリーの大まかな流れ

 

①未来の自分であるナオミ先生との出会い、この世界がアルテラ内の過去の情報世界であることを知る

②一行さんと付き合うために、未来の自分が経験した通りの行動をしていく

③一行さんを事故から救うため、歴史を塗り替える

④実は一行さんをサルベージするための先生の策略でした

⑤先生の過去やその世界の歴史のそうおさらい

⑥先生の世界も、アルテラの記録世界だった。異物である一行さんが排除されそうになるが直美頑張る

⑦一行さんを助けるため、直美頑張る。

⑧アルテラは可能性爆発を起こして、新世界の誕生へ。そしてナオミが目覚める。

まあ、こんな感じでしょうか。

伏線とまで言わないが色々匂わせてる気がする

割とどんでん返しとまではいかないものの、色々と前提の転換をさせる場面が多かった映画だと思います。
というか、多すぎて量子力学トンデモSF系の設定に慣れてないと、理解できなくて置いてけぼりにされると思います。

それか、直美君の如く、全てを達観して受け入れる姿勢で見るしかないです。
こういうSF映像作品で、理解できないことはその場で考えたら負けです。
それはそういうものだと受け取った上で、後で考えるのが正しいです。

話が逸れました。伏線の話でしたね。
対象が子供から大人までということなのか、比較的わかりやすい伏線がいくつか隠れていた気がします。
僕も勘がいい方ではないので、こんな僕でも1回目で気づける伏線がばら撒かれているということです。
舞台設定を小難しくしている分だけ、こういった部分はわかりやすくしているのでしょうか。

例えば、ナオミがいた世界もアルテラの記録世界だと判明する部分
ご丁寧に、ナオミが直美に説明するときに「この世界が記録かどうか、そこにいる人に判断ができない」みたいなことを言ってましたね。
まあ、ナオミはシステムに干渉する立場だったので、ここが記録世界だと全て気づいた上で、それならサルベージが可能と判断しての行動だった気もします。
まあ、つまり。現実世界であるかどうかの判断は、現実にありえない事象が目の前で起こるまで誰にも判断がつかないよという話で、うっすらとナオミの世界も記録世界であることを匂わせる伏線ではあったのかなと思います。

というか、あのシーン。
まるっきりアペイリアのアペイリアルートのあのシーンですよね。
ウイルスが現実世界に現れるやつ。懐かしい。

 

あとは、冒頭の「決断力」みたいな本の項目。
ちゃんと覚えてませんが「人の言うことじゃなくて、自分の選択ができるようになること」
みたいな感じだったと思います。
その直後のシーンでは、瑠璃の性格が直美と正反対で相性が悪そうみたいな印象づけに使っていますが、
これ自体がこの物語の1つの筋として
色直美が瑠璃のために自分で選んで行動できるようになる成長ストーリー
であることを表している。物語のテーマを最初に提示しておく。とてもわかりやすくて助かる。

 

あと、これは僕の勝手に伏線だと思ってるのですが
直美はSF小説が好きで、瑠璃は冒険小説が好きだと言ったシーン。
あそこで、僕は
「じゃあ、直美がナオミに出会って成長してルリを助けるって言うのは完全に冒険小説のノリだよね」って思って
この展開を裏で糸を引いてるのは瑠璃じゃないかと思い始めました。
で、最後のシーンですね。全ては瑠璃がナオミをサルベージするためにやっていたことだったと。
序盤の物語の構図自体は、ひ弱な主人公が師匠のもとで修行を積み、ヒロインを危機から救うために奮闘すると言う冒険小説。
その先生は未来の自分だったり、もう一つの世界からやってきた存在だったりと、舞台設定はSF小説。
あの世界は瑠璃と直美の好きなものがこれでもかと詰め込まれた世界なんですよね。

まあ、その種明かしはされないまま物語は終わってるわけですが。

展開・構成について

あえて構成を分析するなら
大枠は3幕構成、序破急ってやつだと思います。

序:ナオミとの出会い、瑠璃との日常
破:ナオミの記録にない直美の行動、瑠璃のサルベージ
急:直美の世界の崩壊、もう一つの世界へ渡り、管理システムと戦う

そして、それぞれの幕についてまた3幕を分けることもできそうですね。

序-①:ナオミとの出会い、ここは記録世界だと明かされる
序-②:瑠璃との出会い、ナオミの記録が正しいことを証明していく
序-③:瑠璃を救うためのトレーニングが始まる

破-①:トレーニングは続けつつ、瑠璃との距離が近づくための日常
破-②:古本市の開催と、火事による古本の焼失
破-③:ナオミの意に反して、直美が本を修復することで事態を解決しようとする

急-①:事件当日。ナオミの意図が明らかになる
急-②:ナオミの世界も記憶世界という構図が明らかになり、直美が現れる
急-③:直美VS管理システム。瑠璃と共に新世界へ向かう

3幕構成の序破急の場合は
序⇨破⇨急となるにつれて、話が大きく展開も早くなるように、とのことですが
見事にその格子に当てはまっているように思えます。
序でゆっくりと人間関係や世界観を説明しつつ
破で主人公の成長を描く。
急で全てをひっくり返すが、主人公の成長のおかげでハッピーエンドへ向かう。

起承転結の4部構成の場合は、起と結がつながるように転を設定して、転が浮かないように承を作る感じだと思います。
この物語を起承転結で捉えるとすると、
序≒起、破≒承、急≒転 という感じにして
結をかなり短いですが、瑠璃とナオミが新世界に辿り着くこと、ナオミが目を覚ますこと、とすると当てはまりそうです。

1.5hという映画に収めるためということもあるのか、
瑠璃と近づくための日常がダイジェストになっていたのは、中間がダレなくてよかったとは思いますが
視聴者が瑠璃を好きになる≒直美に感情移入させるにはちょっと尺が足りていない感じもしました。
まあ、あまり感情移入させないことで、最終的にナオミ側にも感情移入させたいという意図もあったのかもしれません。

この物語でキーとなるポイントはいくつかあって
1つ目は直美がノートにない方法で瑠璃を励まそうとするシーン
2つ目がナオミの意図が判明するシーン
最後の一つは、ナオミの世界も記録世界だと判明し、直美が別世界に現れるシーン
ですね。

それ以外のシーンは割とざっくりと描かれています。
特訓でなんで鉄を生成しようとしてたのかとかも意味不明ですしね。
あれは先生と弟子っぽい構図を印象付けるためのシーンであって、トレーニング内容自体にはあまり意味がないということなのだと思います。
舞台設定や人物の紹介は必須なので、最初は説明的に細かく描く必要がありますが
その後はダイジェスト的に必要最低限の描写で済ませて、物語の軸であるポイントの描写に時間を割いています。
そして、最後の管理システムとのバトルも、まあ映画という構成上ある程度盛り上がるように描写されてはいますが、シナリオ展開上結に向かうための儀式みたいなもので
心理戦や駆け引きといったものもなく、非常にスッキリした展開だと思います。
シリーズものじゃない映画の構成は、限られた時間の中に必要な要素をきちんと散りばめられるようにちゃんと練られているので参考になると、前に童貞会でワサビさんも言ってた気がする。

 

物語の構成としては、基本的には
先に伏線のあたりでも言った部分もありますが

①ボーイミーツガールで、時空を超えても愛する人を助ける恋愛ストーリー
②自分で選択できない自己主張低め主人公が、自己主張できるようになる成長ストーリー

という2つの大きな軸を元に、世界観やトリックとして

⑴量子記憶装置による仮想世界
⑵未来の自分が過去の自分を利用するというSFトリック

といった設定を絡めていってるように思います。
ただ、未来の自分と過去の自分というダブル主人公にすることで、①の軸が2つ並行して重なり合うような展開になってますね。

⑴の世界観は、景の海のアペイリアとか、なつくもゆるる。とかをなんとなく思い出す世界観ですね。
いや、もっと有名どころで言えば、映画マトリックスか。

⑵のトリックについては、僕らみたいなオタクにとってはやはりシュタインズゲートが馴染み深いのでは。
まあ、未来の自分ではないですが、協力者だと思ってたやつが、実は自分の利益のために動いてただけだった、というのはよくある話ではあります。

 

みていて気持ちが盛り上がったポイントはというとやはり
①瑠璃を守るためのバトル⇨ナオミの目的発覚
②再び立ち上がる直美、別世界へ召喚
の2箇所でしょうか。

どちらも、物語の重要な転換ポイントなので、盛り上がるような展開でみている人の気持ちをアゲていったように思います。

 

舞台設定とか世界観について

 

※ここからはオタクの勝手な考察が8割の文章になります。

まず、量子記憶装置アルテラ。
綴りがアルタイルっぽいので、七夕の織姫と彦星あたりから取ってきてるんじゃないかなと思いました。
物語に出てくるキーキャラクターも3本足の八咫烏。
八咫烏自体も日本神話に登場する”導き”の象徴みたいな鳥ではあるんだけど
七夕に絡めるなら、カササギとも絡めてるんじゃないかなと。
色々パターンはありますが、織姫と彦星が七夕の日に会えるように手助けするのがカササギと言うカラス科の鳥なんです。天の川を越えるための橋になったり、道案内をしてくれたりと。
と、色々オタクっぽい知識を一通り語ってしまいましたが
カラスが二人を結びつける鍵として出てくることや、物語内の日付とかも鑑みると
織姫が瑠璃、彦星が直美として、七夕をモチーフにしていると言うところは割と納得できそうです。

と、なると。アルテラと言う名前。量子記録装置とのことですが
あれは、直美の記憶そのものと言う可能性もあるのかなと。
ここからは完全に妄想に突入していきますが、
人間の脳っていうのは量子的に記憶を保持していて、いくつもの可能性の中から自信が選択した過去に当てはまるものを引き出すような働きをしている、みたいな設定があれば
最後のシーンで瑠璃がナオミを助けようとしていたことから鑑みても
全てはナオミの記憶の可能性世界をトレースして再現していた世界だったのかもしれないと。
となると、その記憶装置の名前はナオミの役割である彦星、アルタイルになる。

と、まあこんな感じの突拍子もない妄想はここまでにしておいて。
もう少しストーリーに沿った舞台設定を考察してみます。

量子記憶装置という機械の中に、世界の情報を細かに記録することで、
その記録の中でシミュレーションのような世界が生まれる
みたいな部分は、ソードアートオンラインのアリシゼーション編に近いものがありますね。

さて、そこで生まれた人格は果たして本物なのか、偽物なのか。
このHELLOWORLDという作品ではそうした哲学的な部分には触れないで、
自立して動いている時点で、ボーイミーツガール作品として完結していますが。
SAOとか景の海のアペイリアとかを通ってきた人は、なんとなく思い出す部分もあるのかなと思います。

SF作品繋がりで、最近やった作品として
はるまで、くるる。では、「大なり小なり、計算処理ができる構造に自我が宿る」と言ってました。
そういう捉え方をした場合では、量子記憶装置、というか多分量子コンピュータそのものであるアルテラの中の存在に、自我が宿っていてもおかしくないとは思います。

というわけで、量子コンピュータ内に記録された情報は、独自の自我を持った存在の集合体となり
ある意味一つの新しい世界となるわけですが、
誰かが”システム”として管理している以上は、人間の想像できる可能性の枠を超えないように調整される、というのが最後の方の管理システム的な存在の役割でしょう。
作品内でも博士が言ってた「可能性の爆発、つまりビッグバンだよ」ということを逆に捉えると
可能性を絞ることで、人間の管理下に置くことができるということだと理解しています。

よく言われる設定として、量子コンピュータは2つの状態が重なっている状態のまま計算ができるので
可能性を可能性のまま、確定せずに計算することができる、と言われますね。
(SF苦手な人はもう何のことだか、という感じでしょうが)
そういう捉え方をした場合、
量子コンピュータ内の世界は、いくつもの可能性世界が重なって存在している状態、
つまりシュタインズゲートでいう多世界線解釈、アペイリアでいう多世界解釈が実際に起こっている状態だと思われます。

瑠璃の死というのはシュタゲでいう収束点であり、
HELLOWORLDでいうところの、バタフライエフェクトの収束限界。
これを超えると、人間の管理できる可能性の枠を超えてしまうということなのでしょう。

 

さて、最後の方のとんでも展開の中で何度か出てきた「量子化」というワード。
この辺りはまだ解明されていない科学理論の話なので、よくトンデモSF(と僕が呼んでいる)に使われやすい設定ですが、そのあたりの知識がないと何を言っているかさっぱりだと思います。

ぶっちゃけ僕もわかりません。量子力学の学者じゃないので。
ただ、いくつかの作品で得たそれっぽい設定と紐付けて、自分なりの解釈をしています。

すごく大雑把に僕の解釈を説明してしまうと
超ひも理論とかいう、全ての物質は”ひも”の振動によってできているという理論があって
(意味わからんですが、そういうものだとまずは受け入れます)
その”ひも”の振動数やらで、物質の素性が決まり、そうしてできた原子や素粒子と言ったものが組み合わさって、今の物理的なさまざまなものができているようです。
つまり、全ては”ひも”の振動数という”情報”によってのみ構成されていると言い換えることができます。

量子化というのは、一見量子という細かい粒に分解されるようなイメージを持ちますし、
映像的な描写もそういう描写になりがちですが、
本来の意味としては、情報処理でさまざまな事象をデータ化する際に使う言葉です。

つまり、HELLOWORLD内での”量子化”も、物体という形態を捨て、情報そのものに変換することだと考えます。
(なんか、体を捨てろ、精神の存在になる、みたいな宗教っぽい表現になってしまいましたが。)

で、ここからはトンデモSF的解釈が混じり始めますが、
人間の考える”世界”というのは、基本的にXYZの三次元軸と、時間軸を付け加えた4次元で表現されることがほとんどです。
そして、情報だけとなった存在はその時空という概念を超えた存在になるはずなので、
別の世界へ渡り歩くことができます。
ファイルをコピーすれば別のフォルダに全く同じファイルが出来上がる、というイメージでいいです。
ファイルは情報ですし、フォルダというのはここでは”世界”という制限された枠みたいなものだと思えば関連づけてイメージしやすいのかなと思います。

HELLOWORLDの舞台においては、もともとそこが仮想世界なので
データのコピーで他の世界に直美くんが召喚されるというのも、イメージしやすいと思いますが
それが現実世界でも可能じゃないの?っていうところまで持っていくための理論が超ひも理論です。

最後のシーン、
まず瑠璃さんは階段を下ることで量子化されます。
次に、直美くんがナオミと手を繋ぐことで、ナオミが量子化されているような描写になっていたと思います。
ということで、二人は量子化されているので
別の世界に渡ることができる状態だったということです。

直美君本人がどうやって量子化したかは描写されてませんでしたが、
管理システムが止まり、時間さえあれば瑠璃さんと同じ方法で自力で量子化できるでしょう。

そうして、量子化した際にどの世界に行くかというところで
次に二人がたどり着いたのは、管理システムの存在しない、無限の可能性をもつ世界でした。
こんにちは、新世界。HELLOWORLD。完。となるわけです。

一方で、
ナオミ君は目を覚ました描写となっていたため、
ぱっと見だと、ナオミがやろうとしていた、記憶空間を使ったサルベージを瑠璃が行っていて
この物語は全て、最後の月面世界の量子記憶装置内の記憶世界での出来事だった。
というオチに見えますが……

ここまでの超ひも理論と量子化に加えて、可能性による多世界解釈も加えるとするならば
無限の可能性を持つ世界の1つとして、記憶空間を使ったサルベージを瑠璃が行う世界があって、
ナオミの世界で直美君に量子化された結果として、その世界に量子化されたナオミの情報が転写された、とも捉えられるわけです。
(最初に行ったアルタイル≒ナオミの記憶という妄想とは反しますが。。。)

他世界解釈はどこから出てきたのか、と言われると
もちろん、作品内の「アルテラ」です。
アルテラは量子記録によって可能性をも記録している装置です。重ね合わせた可能性を記録しているということは、その可能性の数だけ世界がある、と捉えることもできると思います。

何が言いたいかというと
人間の量子化ができる世界において、仮想世界と現実世界の差って、管理システムが居るかどうかだけだよねってことで。
管理システムの居ない、無限の可能性を持つ世界に直美とナオミはたどり着いているので
そこが仮想世界であるか、現実世界であるかはわからん。ということです。
仮想世界であっても、無限の可能性ごと量子化された存在であれば現実世界へ渡ることはできるでしょうし、
その逆だってあり得る、と言い切ることもできなくないかもしれません。

シミュレーションというのは、特定の条件を設定して可能性を絞るからシミュレーションなわけです。
条件を絞らない≒無限の可能性を持った時点で、そこは世界となんら変わりない情報体である。
博士の言っていた”ビッグバン”というのは、管理システムをシャットダウンすることで、シミュレーション世界がシミュレーションではなくなる、ということを示していました。

まあ、今の現実には無限の記憶領域を持つコンピュータなんてないので、
そこがSFたる所以なんですけどね。

SFの基本は、ある程度筋の通った理論づけの中に
1点だけでかい嘘を入れることだと言います。
今回の場合は、「無限の記憶領域をもつ記憶装置」という部分がそれに当たりますね。
それが本当にあるのであれば、僕の知る範囲の超ひも理論の概観でもなんとなく全ての設定が論理的に紐づくように思えます。

 

と、まあ
超ひも理論とか、量子力学の可能性の重ね合わせの話とか
SF好きな人じゃないと絶対についていけないような濃い設定が
裏ではきちんと練られている作品なんだと思いますが、

その辺の説明は端におきつつ、ボーイミーツガールの物語としていい感じにまとめて、
受け取りやすくされていますね。
いや、SF興味ない人が受け取れたかどうかは別問題ですが。

 

ちなみに、この超ひも理論とか多世界解釈の僕の解釈のベースとなっている作品は

なつくも、ゆるる。
はるまで、くるる。
景の海のアペイリア
シュタインズゲート
EVER17

あたりです。
それぞれにどんなふうにヒモ理論とか量子力学が関わってるかは、詳細には触れませんが
こういう量子力学的トンデモSF好きな人はこの辺はチェックして見てください。

映像表現について

ぶっちゃけ、シナリオ評価とか何も気にせずに
現代の3Dアニメとして、いい出来だったという話だけ聞いて、この作品を見てみようと思ってたんですよ。

3Dモデルでのアニメーション。最近増えてますよね。
アイドルアニメのダンスシーンなんかは、半分くらい3D に移行していて
キャラのアップのカットとかだけ手書きするような作品が多いですね。

ULTRAMANは、Netflix作品ですが、フル3DCGアニメとして作成されていることで少し話題になっていましたね。
あとは、あれか。エクスアーム。
3Dアニメの悪い部分の見本録みたいになってしまった残念な作品ではありますが。。。

話をHELLO WORLDに戻すと。
かなり綺麗に処理されていて、綺麗すぎるセルアニメといっても過言ではない印象ですね。
3Dだという前提知識ありだったので、「ああ3D CGだな」と思って見てましたが
事前情報なければ「あれ、これ全編3DCGかなぁ?」と疑問に思いながら見るくらいのレベルだったかもしれません。

まあ、あとは仮想空間的な表現がSAOっぽい表現だったり
管理システムの雰囲気がサマーウォーズとかっぽいなという印象は受けましたが
むしろ、そういう表現が仮想空間の表現として定石になりつつあるということかもしれませんね。

HELLOWORLDみたいに、なるべく設定の説明に時間を割きたくない場合は
定石通りの表現にすることで、いろんな説明を省いてしまうというメリットもありますし。

フル3DCGならではのカメラ移動のカットとかもあって、良いっちゃ良いんですが
アニメ映画に慣れていると、ああいうカットは違和感を感じなくもないですね。

シンエヴァでも少し感想で話題になってましたね。
実写の表現を3DCGに取り入れることで、アニメ映画としての印象とのギャップが生まれるとでも言えばいいんでしょうか。

ここまでグダグダ書いてきて何が言いたかったかというと……

色々考察したくなるようなオタク的設定を詰め込みながらも
シンプルなボーイミーツガールから一歩トリッキーな設定を加えた、面白い作品だったよ!

 

さて、ここまで初見での感想と考察を殴り書きしたので
他人の考察とかもみてきます。

 

考察サイト見たあとの感想

https://note.com/alltale2037/n/n3493cef7e832

原作だと「量子データはコピーできない」という設定が追加されるんですね!
確かに。コピーできたら、直美の世界から持ち出さなくていいわけだ。

アルタラ=Alltale=All tale
見たい人がいろんな解釈をして、その全ての解釈を物語として祝福しますよ。ということらしい。
なるほど。

一番の嘘というところは、まああってました。
僕にもSF観が芽生えてきたのかも。

 

と、まあいろんな考察見ていますが
僕みたいに、最後の月面は別世界だと解釈している馬鹿はあまりいなそうです。

基本的には、
月面世界と月面世界でシミュレートされていたアルテラ世界(ナオミの現実)
そして、その世界でシミュレートされていたアルテラ世界(直美の現実)
の3層構造という解釈が基本です。

まあ、素直にストーリーを見たらそうなりますよね。
白昼夢の青写真の時も、世凪についてトンデモ考察を練り上げた僕なので、
きっと思考回路がとんでもなく捻くれ者なのでしょう。
作者の意図しない結末を作りたいという自己顕示欲をひしひしと感じます。

白昼夢と青写真に関する個人的メモ書き -ラストシーンの世凪は世凪なのか?-

 

僕としては、誰も死んでない物語はハッピーエンドにしたい気持ちしかないので
ナオミか直美だけが救われた解釈はしたくなかったし、
仮想世界でも幸せならOKです、みたいな中途半端な解釈にしたくなかったので
ひも理論と他世界解釈を持ち出した上で、現実と仮想の境界を無くしたのだと思います。

誰か死んだらそれはバッドエンドです。
SFであれば、それを回避するために走り回る系の物語が好きみたいです。

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